遺言によって財産を取得した後、他の相続人から「遺留分侵害額を請求する」という内容証明郵便が届くことがあります。被相続人の意思に従って財産を受け取っただけなのに、なぜ金銭を支払わなければならないのか、と戸惑う方は少なくありません。 遺留分は法律上保障された権利であり、請求そのものを拒むことは基本的にできません。しかし、請求された金額をそのまま支払うべきものかというと、それも違います。請求者が提示してくる金額は、請求者側に有利な前提を積み重ねて計算されていることが通常であり、その前提の一つひとつを精査すれば、支払額が大きく変わることは珍しくないのです。 本記事では、遺留分を請求された側が検討すべきポイントを、実務の視点から整理します。一般的な解説ではあまり触れられない論点——請求者側の特別受益に期間制限がないこと、介護の貢献が遺留分では考慮されないこと——についても、正面から説明します。

まず——無視は最も高くつく選択

内容証明が届いた場合、最も避けるべきなのは放置です。遺留分侵害額請求権は、請求の意思表示が到達した時から履行遅滞に陥り、遅延損害金(年3%)が発生します。請求する側の弁護士は、金額が確定していない段階でもまず内容証明を送って起算点を作るのが定石であり、その後の交渉が長引くほど、支払総額は増えていきます。 つまり、時間は請求された側の味方ではありません。「無視していればそのうち諦めるだろう」という判断は、遅延損害金の蓄積と、調停・訴訟への移行という形で跳ね返ってきます。届いた段階で、争うべき点と受け入れるべき点を早期に仕分けることが、結果的に支払額と精神的負担の両方を最小化します。

検討ポイント①——請求の前提を確認する

最初に確認すべきは、請求そのものが成り立っているかです。 遺留分が認められるのは配偶者・子(代襲相続人を含む)・直系尊属に限られ、兄弟姉妹には遺留分がありません。被相続人の兄弟姉妹やその子(甥・姪)からの「遺留分請求」は、そもそも法的な根拠を欠きます。また、相続欠格や廃除により相続権を失った者にも遺留分はありません。 時効の確認も必須です。遺留分侵害額請求権は、遺留分権利者が相続の開始および遺留分を侵害する贈与・遺贈があったことを知った時から1年で時効消滅します。相続開始から10年の除斥期間もあります。「知った時」がいつかは争いになり得ますが、たとえば請求者が葬儀に出席し、遺言の内容も早期に開示されていたような場合、1年を過ぎてからの請求には時効の主張が立つ可能性があります。

検討ポイント②——基礎財産と評価額を鵜呑みにしない

請求額の根拠となる遺留分算定基礎財産の範囲と評価は、請求者側の主張がそのまま正しいとは限りません。むしろ、請求者側は高くなる前提を選んで計算してくると考えるべきです。 最大の争点になりやすいのは不動産の評価です。請求者側は時価・実勢価格ベースの高い評価を主張してくることが多く、これに対しては、物件の個別事情に基づく減価要素を検討します。共有持分しか取得していないのであれば共有減価、借地権付きや老朽建物であればその状態を踏まえた評価、賃借人がいる収益物件であれば収益還元の観点——どの評価方法を採用するかで数百万円単位の差が生じることは珍しくありません。非上場株式が含まれる場合は、評価方法(純資産価額方式・類似業種比準方式など)の選択自体が本格的な争点になります。 また、債務の控除漏れも頻繁にあります。基礎財産は債務全額を控除して算定するため、被相続人の借入金・未払医療費・未払税金などがあれば、その分基礎財産は減少します。請求者側の計算書に債務控除が反映されているか、必ず確認してください。

検討ポイント③——請求者の特別受益は「何十年前でも」反論材料になる

遺留分侵害額の計算では、請求者自身が受けた特別受益が請求額から差し引かれます(民法1046条2項1号)。そして、ここには知られていない重要なポイントがあります。この控除される特別受益には、期間制限がないのです。 2019年施行の相続法改正で、相続人への贈与は「相続開始前10年以内」のものだけが基礎財産に算入されるというルール(民法1044条3項)が導入されました。この10年ルールは比較的よく知られています。ところが、このルールが適用されるのは「基礎財産に何を算入するか」という場面だけであり、「請求者自身の特別受益をいくら控除するか」という場面(1046条2項1号)には適用されません。 つまり、非対称な構造になっています。請求された側が受けた贈与は、10年より前であれば基礎財産に入らず計算から外れる。一方、請求する側が受けた贈与は、30年前の住宅資金援助であっても、特別受益にあたる限り請求額から差し引かれる。この非対称性は条文の構造を丁寧に読まなければ気づきにくく、遺留分の解説記事でも触れられていないことが多い論点ですが、請求された側にとっては期間制限に縛られない反論材料があるということを意味します。 請求者が過去に住宅購入資金・事業資金・結婚資金などの援助を受けていた事実があれば、それがどれほど昔のことであっても主張する価値があります。ただし、留意点が二つあります。一つは立証の問題で、贈与の事実を裏付ける資料(通帳の記録・登記の経緯・当時の書類など)が必要であり、古い贈与ほど立証は難しくなります。もう一つは特別受益該当性の問題です。たとえば大学の学費は、被相続人の資力・学歴・家庭の教育方針に照らして扶養の範囲内と評価されれば、特別受益にはあたりません。当事務所が扱った事案でも、私立大学の学費について、被相続人自身が私立大学卒であったという事情から扶養の範囲内と評価され、算入が否定されたケースがあります。金額だけでなく「その家庭にとって通常の支出か」という観点で判断される点に注意が必要です。

検討ポイント④——「介護に尽くした」という寄与分の主張は通らない

遺言で財産を取得した方の中には、長年被相続人と同居し、介護や療養看護に尽くしてきたという方が少なくありません。遺言はまさにその貢献に報いるためのものだった、というケースです。そのため、「自分には寄与分があるのだから支払額は減らされるべきだ」と反論したくなるのは自然な感覚です。 しかし、この反論は遺留分の争いでは法的に成り立ちません。寄与分(民法904条の2)は遺産分割の場面で考慮される制度であり、遺留分侵害額の算定には適用されないためです。基礎財産を定める民法1043条にも、侵害額の計算を定める1046条2項にも、寄与分を考慮する規定は置かれていません。寄与分はそもそも遺産分割の協議・調停・審判の中で定められるものであり、遺留分侵害額請求に対する抗弁として主張することはできないと理解されています。 「介護をしてきた自分が、なぜ何もしなかった相続人に金銭を払うのか」——この感情的な納得のいかなさと法的な帰結との間には、大きなギャップがあります。この点は弁護士にとっては当然の前提であるため、相談の場でかえって丁寧に説明されないことがありますが、対応方針を立てる上では最初に押さえておくべき事項です。介護の貢献を反論の柱に据えた戦略は組めない以上、前記の評価額・特別受益といった法的に機能する争点に力点を置くことになります。 なお、介護への貢献が全く無意味になるわけではありません。法的な抗弁にはならなくても、交渉の場で全体の解決水準を調整する際の事情として機能することはあります。また、被相続人の立場からこの結論を避けたいのであれば、遺留分を見越した遺言の設計、生前贈与のタイミング、生命保険の活用など、生前の手当てが有効です。詳しくは遺言書作成のページをご覧ください。

支払いが難しい場合——期限の許与と原資の設計

遺留分侵害額は金銭での支払いが原則です。取得した財産が自宅不動産中心で手元に現金がない場合、支払原資の確保が現実的な問題になります。 民法1047条5項は、受遺者・受贈者の請求により、裁判所が支払いについて相当の期限を許与できると定めています。直ちに全額を支払うことが難しい場合には、この期限の許与を求めることや、交渉の中で分割払い・支払時期の合意を目指すことが選択肢になります。不動産の売却で原資を作る場合には、売却完了までの期間と遅延損害金の関係も含めて、支払いのスケジュール全体を設計する必要があります。

弁護士への相談について

遺留分を請求された側の対応は、請求の前提の確認、評価額の精査、期間制限のない特別受益の洗い出し、支払方法の設計と、検討事項が多岐にわたります。そして、どの争点に力点を置くべきかは事案ごとに異なります。請求額の根拠を精査しないまま交渉に応じれば本来支払う必要のない金額まで支払うことになり、逆に通らない主張に固執すれば遅延損害金だけが積み上がります。 この見極めには、遺留分の条文構造と交渉実務の両方に通じていることが必要です。内容証明が届いた段階で、請求内容と取得した財産の状況をお聞かせください。争うべき点と早期に解決すべき点を仕分けし、事案に応じた対応方針をご提案します。 遺留分制度の全体像については遺留分侵害額請求のページを、計算の仕組みについては遺留分の計算方法を、生前贈与の扱いについては生前贈与は遺留分の計算に含まれるかをご覧ください。